目指すは花園!
戻る


「俺は行くんだよ!」
「無理だ、今のお前ではまず勝てない」
「なんでだ!」
 激しく言い争う声。その声は放課後のラグビー部部室から聞こえてくる。しかし時は陽も暮れた夕刻、辺りには部活帰りの生徒さえいない。この時間ではみんな家か寮に帰って宿題に精を出している頃である。そこに誰が残っているのかというとそれは、見るからに体育会系の高校教師。そして先ほどから大声をあげて息を切らせているラグビー部員であった。
 教師はラグビー部の顧問らしく、若き日の武勇伝を語っているかのような体つきである。対する生徒は体格こそラグビーに向いているように見えるが、まだ戦場の厳しさを知らないような若い顔をしていた。それを見越してか教師は諭す様に言う。
「昔の俺でも駄目だったんだ、今のお前にあの時の俺を超える力はまだ無い」
 そのことは教師から見れば一目瞭然だった。仕事柄個人の実力はよくわかるつもりだ。しかし生徒はそれを認めようとしないかのように声を張り上げる。
「そんなのわかるわけねぇだろ! 何のために今まで鍛えてきたと思ってんだ!」
 それは教師も十分にわかっていた。だからこそ生徒の言うことが胸に刺さるのだ。絶対無理なことを成し遂げようと息巻いているやつに、それは無理だと認めさせるのはわかっていても苦痛だった。それでも……それでも今言わねば、この無謀ながらに勇敢な生徒は心とプライドに大きな傷を背負ってしまうことになる。
「ふざけるな! お前が…お前があの『花園』だと! 己惚れるのも大概にしろ!」
 それゆえに教師は渾身の力で叱りつけた。
 『花園』。それは男として生まれたならばおそらく誰もが憧れ、目指す場所。しかしその門は残酷なまでに固く、その門をくぐれた者もまた次々と斃れてゆく。結果その栄光を手にし、英雄となるのはほんの一握りの男なのだ。かつて教師もその高みに体を捧げた時があった。しかし、結果は……………………
 生徒は突然の教師の怒号に酷くうろたえていた。心のどこかで教師が自分を認めてくれると思っていたのだろう。生徒はしばらく沈黙していた。そして、勢いをつけてドアの方を向くと静かに言った。
「自分に自信が無くて何ができるって言うんだ。……俺は行くぜ、『花園』へ!」
 ――バタン!
 と、ドアを壊しそうなほどの力で閉めて生徒は出て行った。
 教師は止めようなどと思わなかった。教師も心のどこかで生徒のことを期待していたのだろう。かつて自分も、同じことをしたから。

 そして今、あのラグビー部員は走っていた。荷物は邪魔にならないように、しかししっかりと脇に抱えて。
 目指すは敵陣の突破、自陣への帰還。進路は一直線。障害物は多数の敵。かわして――走るのみ!
 一人かわし、二人かわした。時間にしてあと十秒、それまでに全員をかわして走りきらないと敗北は確実。しかし、この独走を決めれば勝てる。
 すでに周りの喧騒は耳には届かず、意識を占めるのはタイムリミットと走りぬくことだけ。何ヤードでも、何十ヤードでも走りぬく。一人の男として、自らの誇りに懸けて。
 残り時間はあとわずか、残りの距離ももう少し。それはすなわち彼が英雄か屍か、決まる時が間も無く訪れるということでもあった。
 敵は――あと三人。一人は右にかわした、もう一人は跳ね飛ばした。もうこの身を守る防具さえも鬱陶しい。あと数ヤード駆け抜ければ英雄になれる、いや、必ず英雄になってみせる。自らが道を示し、他のものを導き、先生さえも見返してみせる――!

 だが、間に合わなかった。ラストスパートのさなかに視界は一瞬にして回転し、彼は仰向けに倒れていた。それと同時に敗北を味あわせるようにサイレンが鳴り響いた。
 彼は英雄になることはできなかった。

 悠然と見事に彼をひっくり返したリーダーが彼を見下ろしている。そしてゆっくりと口を開いた。
「さて、さっさと返してくれる?」
 無様な負け犬に命令をする敵側リーダー改め――女子寮長。
「く……そっ……」
 敗北した哀れな男は、今まで硬く締めていた腕の力をガックリと抜いた。それと同時にその腕から、必死に集めた女子用制服やら体操着やらがこぼれていった。
 侵入者迎撃装置の一部である赤サイレンが騒いでいる中、彼は自分が屍となることを受け入れた。


 翌日、女子寮の壁には無謀にも単独で女子寮に乗り込みながらもあと一歩で敗北した、あのラグビー部員が磔にされていた。その表情は惜敗の悔しさに歪みながらも達成感に溢れているようにも見えた。
 あの体育系教師は遠くの木陰から勇敢にも朽ちた屍を見ていた。まるで若いころの自分を見ているようだと思い、かつての英雄成り損ないは人知れず涙を拭った。
 帰りざまに教師は、もはや見世物となっている生徒に向けてスポーツマンらしく見事に頭を下げて一礼した。

 無謀とわかっていながら禁断の『花園』を目指した一人の男への手向けとして。


戻る
inserted by FC2 system