Knight
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――――深い森の奥に佇む城の最上階には、小さく粗末な部屋が一つ。冷たい静けさに包まれて横たわるのは、少女。身に着ける服は所々破け、汚れ、みすぼらしい。しかしよく見れば気付ける丁寧なレースがあしらわれたワンピースや貴金属の装飾品と金髪碧眼の身なりは、彼女に少なからず貴族、王族の血を感じさせた。
 彼女が、ゆっくりと体を起こした。寝具も何もない硬い石床のせいか下瞼には隈が浮き、手入れをされていない長い巻き毛に艶はない。それに構うことなく、彼女は扉の前まで這うとそっと耳を押し付けた。何かが、聞こえた。それは動物の鳴き声のようだったが次第に大きくなり、はっきりとした呼び声になる。誰かが彼女の名を呼びながら走り回っていた。
 彼女は枯れた喉から返事を搾り出す。とても聞こえたとは思えない声だったが、その途端に呼び声は止まった。しばらく足音だけが聞こえ、突然声が近くから聞こえた。
「助けに来ました、扉から離れていてください!」
 間違いなく扉越しに聞こえた男の声に、慌てて離れる。たっぷりの間を置いた後、出口を塞ぐ壁が激しい音ともに蹴破られた。舞い上がる埃と木屑、その中から声の主が現れた。突然の事態に唖然としている彼女に、来訪者は告げる。
「助けに来たんです。さあ、国に帰るまし――」――――


 台詞を、噛んだ。
「す、すいません!」
「もー、何てところで噛んでるのよ、伊富士くん!」
 即行で謝ったが、王女役の小住先輩に間髪いれず耳元で怒鳴られた。大きい目が釣り目気味に細められている。さすがに今のミスは大きいようだ。すぐさま頭を下げた。
「その、緊張、してしまって……」
 正直に言う言い訳も情けないけど正直に言う他ない。
「緊張って、そんなこと言ってたら話にならないじゃないの。たった三人よ、さ・ん・に・ん!」
 やはり簡単に許してはもらえない。
 三人というのは観客代わりの二人の生徒と顧問の事。でもそんなことで緊張しているわけではなかった。
「本番は明日だっていうのに……いい、緊張しなくなるまで今日は帰さないからね?」
「は、はい」
 でも本音は胸にしまっておとなしく聞いておく。
 あなたの隣にいるからですなんて、神様の前だろうと言えるわけがないから。
「まぁいいわ、結構今のは良かったもの。少しだけ休憩にしてあげる、台詞しっかりね」
 そう言うと小住先輩は左手から王女の人形を外し、顧問に感想を訊きに行った。僕も感想が気になるが、顔が赤い気がして隅で台本を覚えるフリをする。壁に向き、台本を広げながら聴覚は背後に集中させる。小住先輩と顧問達が話し合っているのが小さく聞こえる。
「練習では上手くできるのにねぇ……いざ人形をつけて舞台に上がるとこれだ。アガリ症か?」
 そう顧問が言う。
「でも全員の前で一人の時は割りと平気そうでしたよね。先輩が怖いからじゃないんですかぁー?」
 先輩の後輩……つまり同期の古宮が軽口を叩いた。
「ふざけてないのっ。うーん、やっぱり男が伊富士君しかいないのがね。台本も書いてもらってるんだからあまり無理させられないよ」
 それを注意して相田先輩。
「そうね、伊富士くんの本は詩的で好きなんだけど……」
 小住先輩は嬉しいことを言ってくれる。
「いまさらそんなこと言ってもしょうがないもの、とにかく今日でOKにするわよ。泣いても帰さないわ」
 ……そんなところが素敵です。
 ふと右手に王子の人形を付けっぱなしにしていることに気付いた。小住先輩手製の王子はデフォルメがききながらもとても凛々しく描かれている。
 人形劇は、好きだ。台本や役、役者というレシピがあれば僕は制服を着たままだって王女を助ける王子になれる。相手と同じ世界を共有できる。
 ああ、僕もこんな王子のようになることができれば……。


――――王子は城の外で待ち伏せしていた大勢の敵を前に、一歩も退くことはない。王女を覆い隠すように盾となり、傷が増えるほどより強固となる。そして遂に全ての敵を打ち倒し、王女を抱きながら国へと帰るのだ。
 しかし王女を無事に送り届けたとき、王子は意識を失い倒れる。彼は何日経っても、傷が癒えても目を覚まさずに眠り続ける。人々は死んでしまったのではないかと疑うが、王女は待ち続けた。常に側にいて、いつまでも待ち続ける。今度は自分が迎えるために、いつまでも。――――


 両端から赤いカーテンが音もなく閉じる。
 静かに物語りは終わりを告げ、代わってまばらな拍手が上がった。
「おぉー、できたじゃないか伊富士。人形の動きもなかなかだったぞ」
 第一に顧問が口を開いた。他の二人も何かに頷きながら手を打っている。
 横を見ると、小住先輩もこっちを見ていた。
「ど、どうでし……た?」
 内心怯えながら、言ってみた。
「大丈夫。今日はちゃんと帰してあげる!」
 緊張と疲れが、小住先輩の笑顔で吹き飛んだ。何よりも魅力的で何よりも力になる。
「ありがとうございました!」
「ました、じゃないの。本当に頑張るのは明日だからね」
 相田先輩が細かいことを言う。でも今は気にならなかった。先輩が喜んでくれている。
「最後に一つ訊いていい?」
「はい?」
 小住先輩が耳元で囁いた。
「どうして王子は目覚めないの?」
 流石は小住先輩だと思った。そこはこだわりなのだ。
 それは完璧な王子へのちょっとした嫉妬の表れ。
「それは……この物語はここで終わりじゃないからです。王子が目覚めて二人が幸せになるまで、終りませんから」
「ふぅん……女を待たせる男は罪よね」
「はは、そうですね」
「ふふっ」
 本当は。
 本当はただの嫉妬と羞恥。
 この王子と違って、僕はいつでも貴女の側にいて、いつでも貴女に応えると言いたいけど言えないだけ。
 言えるはずないじゃないか。
 僕は貴女の王子様になりたい、なんて。


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